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幸せに生きるリアルなレズビアン像を発信していきたい【前編】

自然体で飾らない印象の土屋朝美さん。時折見せる笑顔がチャーミングな女性だ。これまでの半生について、記憶の糸を手繰り寄せるように丁寧に語ってくれた。母の看病を通して、死生観や家族に対する考え方、生き方が変わったという。さまざまな経験を通して今、「大切なパートナーと幸せに暮らしている姿を世間に示していきたい」と語る土屋さんの表情はとても輝いていた。

2018/01/23/Tue
Photo : Taku Katayama Text : Mayuko Sunagawa
土屋 朝美 / Asami Tsuchiya

1982年、千葉県生まれ。地元の小・中学校に進学し、中学ではバレーボール部に所属。歯科衛生士の仕事を経て、現在自営業を営んでいる。現在、9歳下のパートナーと同居中。パートナーの影響もあり、テレビやラジオなどメディアに多数出演。

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INDEX
01 ごく普通の幸せな日々
02 あたたかかった家族との記憶
03 好きな人は女の子、付き合う人は男の子
04 青春を謳歌した思春期
05 女性が好き、でも結婚したい
==================(後編)========================
06 レズビアンとして生きる決意
07 母と過ごした最期の2ヶ月間
08 家族へのカミングアウト
09 最愛の人と家族に
10 これからの夢、やりたいこと

01ごく普通の幸せな日々

パートナーとともに多くのメディアに出演

9歳年下のパートナーとともに、テレビやラジオ、雑誌などのメディアに出演している。

「2015年の夏に、雑誌『東京グラフィティ』でさまざまなセクシュアリティカップルの特集ページに出てから、テレビのニュース番組などで密着取材をしていただいたり、フォトウエディングの取材をしていただいたり」

「レズビアンカップル役としてドラマ出演をしたこともあります」

メディアに出ているゲイやトランスジェンダーはけっこういるが、レズビアンでメディアに出ているケースはまだ多くはない。

「何か大きな志とかがあって出ているわけではないんです」

「でも、自分が求められているなら、それにできる範囲で応えていきたいという気持ちでやっています」

役に立てることがあるのであれば、これからも出演していこうと思っている。

テレビなどの大きなメディアに出演すると、その分、周囲からの反響も大きい。

「カミングアウトしていない友だちや疎遠になっていた友だちから、連絡が来ることもあるんです」

「久々に昔の友だちとつながることができるのはうれしいですね」

メディアに出てレズビアンの自分を社会に広く知られることに、抵抗はあまりない。

「私のパートナーはすごくオープンな人。彼女と付き合ってから、私もすごくオープンになれたと思います」

ありのままの自分をみてほしい

「レズビアンとして生きていくのはツライ、しんどいというのはないんです」

「毎日楽しく幸せに生きているので」

ごく普通に生活し、好きな人と一緒に暮らす日々に幸せを感じている。

メディア出演を通して、ありのままの自分を見せていきたいと思っている。

「自分のことを見て、『明るく生きているんだな』『幸せそうだな』と思ってもらえたらうれしいですね」

セクシュアルマイノリティであっても、自分のように幸せに生きている人間がいることを知ってほしい。

LGBTやセクシュアルマイノリティに対して、ポジティブなイメージをもってもらいたい。

02あたたかかった家族との記憶

活発で甘えん坊な幼少期

活発な女の子だった。

女の子とおままごとをするタイプではなく、男の子に交じって外を走り回っていることが多かった。

5歳離れた妹ともよく一緒に遊んだ。

「たまにからかって面白がっていると、妹に咬みつかれることもありましたね(笑)」

お母さんがいつもそばにいないとダメな、甘えん坊でもあった。

「自分が寝る前に、どこにも行かないでね、っていつもお母さんに言ってから寝ていたそうです」

「幼稚園のお泊まり会の時に、お母さんと離れるのが嫌で行きたがらなくて」

「幼稚園の先生が家まで迎えに来てくれて、ようやく行くことができたそうです。泣きながら幼稚園に行っていました」

どちらかと言えば、今も寂しがり屋。

1人でいるのがあまり好きじゃない。

自分の心許せる人がそばにいると、とても安心する。

父母の愛情

父は、まさに亭主関白を絵にかいたような人だった。

「居間にドンと座って動かない感じでした。どちらかと言えば怖い存在」

「一度、小学生の時に夜遅くまで遊んで帰ってきた時に、はたかれた記憶があります」

「夜遅くまで遊び歩いていたので、心配したんだと思います」

家族みんな仲が良く、旅行にもよく連れて行ってくれた父だった。

自分のことを可愛がってくれていたとは思うが、小さい頃に父と話をしたという記憶があまりない。

「だから、お父さんに育てられたというより、お母さんに育てられたという感じが大きいんです」

母はすごくやさしくて、あたたかい人だった。

やさしくしてもらった思い出はたくさんある。

「今思い出すのは、お腹が痛かったときは眠るまでお腹をずっとさすってくれていたことです」

「愛情を肌で感じながら、育ったと思います」

母は料理が得意で、毎日手作りの料理が食卓に並んだ。

スーパーなどで買ったお惣菜はあまり食べたことがない。

ダイエットすると言えば、自分だけ別メニューでダイエット食を作ってくれた。

ただ、キレると怖い一面も母にはあった。

「夕飯が魚だと聞いて嫌だと駄々をこねたんです。そしたら『じゃあ、食わなくていいよ!』と料理を床にぶちまけられて(笑)」

「急にキレたのでビックリして、唖然としました・・・・・。そんな一面もある母でした」

03好きな人は女の子、付き合う人は男の子

女の子が好きだった記憶

初恋と言えるのかどうかはわからないが、小学生の時に気になる女の子がいたことを覚えている。

「この子、かわいいな」という気持ちがあった。

一方で、同級生の女の子たちと一緒に、クラスで人気の男の子のことを「あの子、かっこいいね」と言い合うこともあった。

今思えば、心から男の子のことを、かっこいいと思っていたかどうかは怪しい。

同級生の女の子たちに合わせていたのかもしれない。

この頃から女の子を好きな気持ちを持つ自分と、周りに合わせて男の子に好意を持っているフリをする自分が同居するようになった。

女の子を好きな自分と男の子と付き合う自分

小学生くらいの時から「女性が好き」という気持ちは自覚していた。

でも、男の子からアプローチがあり嫌だと思う人でなければ、とりあえず付き合っていた。

「周りもみんな彼氏がいるから、自分も同じように彼氏を作ろう、という気持ちだったと思います」

「付き合っている彼氏がいないと周りと同じになれない、カッコ悪いというのもありました」

彼氏は彼氏。

でも、好きになるのは女の子。

自分にとっては「好きになる対象=彼氏」ではなく、彼氏と好きな相手とはまったく別に考えていた。

ただ、彼氏と手をつないだりキスをしたりするのには抵抗があった。

求められても拒否することが多く、彼氏からはサバサバした女の子だと思われていたと思う。

だから、お付き合いしても長くは続かなかった。

彼女らしい振る舞いを求められるのは、正直きつかった。

04青春を謳歌した思春期

仲間と乗り越えたバレーボール部

地元の中学校に進学すると、友だちと一緒にバレーボール部に入部した。

体育会系の部活なので死ぬほど厳しかった。

きつかったので途中で辞めたいと何度も思った。

でも、辞めたとしても他の部活に入らなければいけない規則があったし、仲間もいたので3年間なんとか続けられた。

バレーボール部は学内でも目立つ存在の子が多く、自分もそのグループにいたので、どちらかと言えば自分も目立つほうだったと思う。

「友だちもたくさんいましたし、特に何か強く思い悩むこともなく、楽しい学生生活だったと思います」

また、この頃に反抗期になり、親の言うことが何でもうるさく思えた。

親との会話も面倒だと感じるようになった。

時折、親と衝突したり、たまに夜遊びするようになった。

ギャルだった女子高生時代

高校は地元の女子高に進学した。

アムラーが流行っていた時期ということもあり、スカートを短くして日焼けサロンに通った。

見た目はギャルそのものだったと思う。

夜遅くまで地元で遊んだり、たまに都内に出かけてクラブに行ったりすることもあった。

どちらかと言えば遊んでいたほうだと思う。

一度、高校生の時に、仲の良かった女の子に「自分は女の子が好きなのかもしれない」とカミングアウトしたことがある。

とても深く悩んだ末のカミングアウトではなく、なんとなくポロっと話をしたというライトな感じだった。

その友だちは「ふーん、そうなんだ」という反応。

当時自分には彼氏がいたこともあり、友だちもあまり真剣には捉えていなかっただろう。

05女性が好き、でも結婚したい

レズビアンへの偏見と葛藤

女の子を好きになるのはよくないとは思っていなかったが、自分をレズビアンだと認めたくなかった。

自分自身にレズビアンに対する偏見があったからだ。

レズビアンだと、人から変なふうに思われるかもしれない。

人と違う自分は排除されてしまう。

「レズビアンである自分が嫌だったのだと思います」

自分がレズビアンだと認めたくなかった。

男の人と付き合うこともあったので、いずれ男の人と結婚するだろうと思っていた。

「付き合う男性は人として好きになれたので、男性と結婚できるのではないか、いつかは男性と結婚しようと思っていました」

でも、恋愛対象として見ているのは、いつも女性。

「女性に対しては、会いたいなという気持ちやもう少し一緒にいたいという気持ちがわいてきます」

「男性に対しては、会いたいという気持ちにはまったくなりませんでした(苦笑)」

「もう好き勝手にやってくれれば、みたいなドライな感じでしたね」

ラブソングがフィットするのはいつも女性。

ラブソングを聞くときには、好きな女性を自然と思い浮かべていた。

結婚へのあこがれ

小さい頃から将来の夢はお嫁さんだった。

母が専業主婦だったこともあり、母のようなお母さんになるんだろうなと、漠然と考えていた。

安定志向も強かった。

だから、結婚することは自分の人生にとってかかせない、重要なことだった。

結婚するとなると、やっぱり相手は男性。

好きになる対象はいつも女性であったけれど、いつかは男性と結婚して子どもを産んでよい家庭を築いていくんだろう。

そんな夢を描いていた。


<<<後編 2018/01/25/Thu>>>
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06 レズビアンとして生きる決意
07 母と過ごした最期の2ヶ月間
08 家族へのカミングアウト
09 最愛の人と家族に
10 これからの夢、やりたいこと

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