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MTFでありMTXでもあるような自分は、ジェンダークィアと呼ぶのがふさわしいのかもしれない。【後編】

MTFでありMTXでもあるような自分は、ジェンダークィアと呼ぶのがふさわしいのかもしれない。【前編】はこちら

2017/10/29/Sun
Photo : Mayumi Suzuki Text : Ryosuke Aritake
古怒田 望人 / Asahi Konuta

1992年、東京都生まれ。性自認はジェンダークィア、性指向はパンセクシュアル。幼い頃から学習障害や適応障害で悩まされる中、いじめを受け、小学生の頃から不登校に。当時から性別で括られることに違和感を覚え、現在在籍している大学院では哲学の観点からトランスジェンダーの研究を進める。 “いりや” という名前で、性について共有し合う哲学サロン「ふらてるにて」の主宰を務める。

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INDEX
01 人知れず寂しさを抱えていた幼少期
02 心の壁の原因となった性別違和と学習障害
03 登校拒否の先に見えたかすかな光
04 新たな知識を得ることの歓び
05 苦しくてもやりがいのあった学部生時代
==================(後編)========================
06 キャンパスライフで知った恋愛と友情
07 環境の変化に追いつけなかった体
08 パンセクシュアルでありクィアである自分
09 東京に戻ることで得られた心の安定
10 環境に恵まれた自分にできること

06キャンパスライフで知った恋愛と友情

初めて好きになった人

実在する人に初めて好意を抱いたのは、大学生になってから。

仲が良かった男友だちのことを、好きだと感じた。

「ただ、その子には恋人がいたので告白はせずに、気持ちを隠していました」

「人に対してかわいい、かっこいいって思うことはあっても、好きって感情を抱くことは初めてでしたね」

好きだった男友だちが、3年の時に、大学のそばで1人暮らしを始めた。

1限から授業が入っている日の前日は、泊めてもらうようになった。

「その子のアパートに雑魚寝させてもらったんですけど、その時間が幸せでした」

「彼が、2人分の夕飯を作ってくれたりして」

あくまで友だち関係だったが、一緒にいられることに幸せを感じた。

その喜びだけで十分だった。

「彼がアパートから引っ越す時も、最後まで手伝っていましたね」

「自分の気持ちは隠したままでしたけど、いい思い出、いい恋愛経験だったなって思います」

すんなり受け入れられた同性愛

自分自身が男性に好意を抱くことに対して、驚きや困惑の感情はなかった。

その理由は、サブカルチャーに触れる機会が多かったから。

「サブカルチャーの世界では、ストレートの恋愛関係を描いた作品の方が少なかったりするんです」

「だから、同性を好きになることに対して、背徳感や違和感はなかったですね」

「男性を好きになってはいけない、って気持ちはありませんでした」

ただ、好意を認めることとオープンにすることは、別物だと考えていた。

社会的な観点から見た時に、好きという気持ちを打ち明けることはできなかった。

「他人がどう感じるかわからなかったので、当時はオープンにはしませんでした」

「今は僕もカミングアウトしているので、彼に『当時好きだったんだよ』って冗談交じりで話しています(笑)」

友だちとの時間が大切な息抜きの場

大学時代は勉学に励む毎日だったが、頑張れたのは友だちの存在があったからかもしれない。

誰とでも仲良くなれる本来の性格が功を奏し、さまざまな人と友だち関係を築くことができた。

「真面目な子、サークルで遊び倒している子、何もしないで時間が過ぎていく子、どんな子とも話していました」

「その中でも特に仲が良かった5~6人とは、授業の合間の時間によく集まっていました」

学食で、くだらない話で盛り上がる時間が好きだった。

その時間が、自分にとっての息抜きになっていた。

ユニセックスな服装で通っていたが、茶化されることもなかった。

「夏場はXLサイズのTシャツに、ショートパンツを合わせて、ワンピースみたいにして着ていました」

「友だちから冗談で『変な格好してる』って言われることはあっても、いじめみたいなことはなかったです」

自分を受け入れてくれる友だちの存在は、すごく大きかった。

07環境の変化に追いつけなかった体

進学の決め手は自由な雰囲気

ゼミの教授には、大学院に進みたいという気持ちを伝えていた。

大学院を選ぶには、こまめに院に通って、指導教官と面談をすることが必要だと言われた。

「担当教授は『院の受験も考えて、卒論を3年のうちに書いちゃいましょう』って提案してくれたんです」

「3年が終わった段階で提出できるように卒論を進めて、4年では院の訪問と受験に集中しました」

大学院を選ぶ上でもっとも大切な基準は “環境”。

指導教官とうまく関係を築けるか、院生の上下関係がギスギスしていないか。

「自分がうまくやっていけるか知るために、学部生のうちに通ってみることが大切なんです」

「僕が今所属している大阪大学の研究室はすごくリベラルで、居心地が良かったですね」

「髪の毛が緑と金のツートンカラーで、唇にピアスを開けている先輩がいたり(笑)」

「指導教官となる教授の著作に惚れ込んでいたこともあり、その研究室に決めました」

無事に試験にも受かり、大阪大学の大学院に進むことが決まった。

生活環境の変化が原因のうつ病

進学と同時に初めて実家を出て、大阪で1人暮らしを始めた。

研究室の居心地は良かったが、大阪での生活には馴染めなかった。

「大阪という土地が合わなかったわけではなくて、適応障害が全開で出てしまったんです」

「ひどいうつ病になってしまって、抗うつ剤を飲むようになりました」

しかし、自分は薬が効きにくい体質だった。

「抗うつ剤をどれだけ飲んでも、症状が改善されなかったんです」

「通っていた精神科も、片手間で話を聞きながら処方箋を書くようなところで、よくありませんでした」

心理療法は実施されず、抗うつ剤を処方されるだけ。

体調も崩しがちになり、指導教官から「実家に帰って休め」と言われた。

「実家と大阪を行き来する生活になり、アルコール依存症のような状態にもなりました」

アルコールに頼らないと、眠れなくなってしまった。

リストカットも、頻繁に行った。

大学院2年生に上がった頃、心身ともにひどい状態になっていた。

「隔月くらいで実家に帰って、大阪に戻るたびに体調が悪化するという繰り返しでした」

08パンセクシュアルでありクィアである自分

初めての交際で知った性指向

大学院2年のゴールデンウィークに実家に帰った際に、タブレットを購入した。

ツイッターを始め、趣味で描いていたイラストを載せるアカウントを開設した。

「うつ病がひどくなると勉強も手につかなかったんですが、絵はなんとか描けたんです」

「社会復帰のためのリハビリを兼ねて、夏までずっと絵を描いて、ツイッターに上げていました」

ツイッターを通じて、一人の女性と知り合った。

東京で開催したオフ会を機に、頻繁に会うようになり、つき合うことになった。

人生で初めての恋人ができた。

自分自身をゲイ寄りのバイセクシュアルだと考えていたが、性別は関係ないかもしれないと感じ始めた。

「今は、自分の性指向はパンセクシュアルだと捉えています」

「男性だから好き、女性だから好きということではなくて、その人が好きって感じるんです」

初体験で気づいた身体違和

つき合っているうちに、初めての恋人は自分に男性性を求めるようになっていった。

「『本名を呼び捨てにしてほしい』って言われたことがあって、違和感を覚えました」

新宿で食事をした帰り、彼女に「帰ってほしくない」と言われた。

終電を見送り、2人で歌舞伎町のラブホテルに入った。

「セックスをする流れになった時に、僕にはできないって感じたんです」

彼女は、当然のように男性的な振る舞いを求めてきた。

自分もそのつもりで接したが、いざ性行為をしようとすると違和感を覚えた。

この行為は自分にはできない、と感じた。

「その翌日も気持ち悪くて吐いちゃうくらい、男性的なセックスパフォーマンスが受け入れられませんでした」

「相手に男性的な行為を求められることも、無理だなって感じました」

「お姉さん」という呼び名

初体験をきっかけに、自分自身の性別に対する違和感も高まっていった。

その1週間後、母に「女の子の格好をしてみたい」と話した。

「母は『セーラームーンみたいでかわいいからいいんじゃない』って、すんなり認めてくれました」

「さっそくワンピースを着て、知り合いだった女装家さんに会いに、新宿のゴールデン街に行きました」

行きつけだったトランスジェンダーのバーに向かった。

初めての異性装だったが、たまたま一緒に話していた人に「お姉さん」と呼ばれた。

「お姉さん」という呼び名が、自分の中でしっくりきた。

その後、初めての恋人には「女装している男性は無理」とフラれてしまった。

それでも、新たな道が開けたような気がした。

MTFでありMTXでもあるような感覚だった。

ジェンダークィアと呼ぶのが、もっともふさわしいのかもしれないと感じた。

しかし、うつ病やアルコール依存症が改善することはなかった。

「進路はどうしようかなって、将来についての不安ばかりが大きかったです」

「休学を考えたこともあったし、研究の方向性も見えていないし、精神的にひどかったですね」

09東京に戻ることで得られた心の安定

恋愛に溺れていく自分

大阪で生きづらかった理由の一つと考えているのが、トランスジェンダーや女装の文化が身近でなかったこと。

住んでいた大阪市北区には、女装文化に触れられる場がほとんどなかった。

「大阪でもミナミには、女装家さんやトランスジェンダーがいられる場があると思います」

「ただ、そこに行く時間も精神的な余裕もありませんでした」

「だから、生活しづらくなってしまったんだと思います」

さらに、これまで経験のなかった恋愛やセックスを知ったことで、心情の変化もあった。

「僕は恋愛とセックスがないと生きていけない、って思ったんです」

「愛着障害と呼ばれるもので、人とスキンシップをとっている時が一番落ち着くんです」

触れ合える人を求め、街をブラつくこともあった。

さまざまなセクシュアリティの人と、恋愛関係に至った。

「レズビアンの方とつき合った時は、結局『女性じゃないから無理』ってフラれてしまいました」

「難病を抱えている方と、スカイプ越しの恋愛をしたこともありました」

「ニューハーフの方と、ワンナイトラブみたいなこともしましたね・・・・・・」

受け止めきれなかった母の言葉

自暴自棄ともいえる生活を送っていた時、些細なことがきっかけで母と口論になった。

「僕がお金を使いすぎていることに対して、母が怒っていたんだと思います」

「その勢いで、『お前は性的に奔放で、どんな病気持っているかわからないから触れないで』って言われたんです」

「母の言葉に、すごく傷つきました」

部屋にあったウイスキーで、ありったけの抗うつ剤150錠ほどを、一気に喉に流し込んだ。

自殺するつもりだった。

「そもそも抗うつ剤が効かないので、未遂で終わりました」

この一件が指導教官の耳に入り、「安定するために東京に住め」と言われた。

大学院の籍は残したまま、東京に戻ることを決めた。

母と距離を置くため、実家には帰らずに1人暮らしを始めた。

「指導教官が、東京の知り合いのクリニックを紹介してくれたので、通い始めました」

森田療法という認知療法を用いて、しっかりと話を聞いてくれる先生だった。

診察終わりには「辛くなったら読んでね」と、心を落ち着かせる言葉が書かれたカードをくれた。

専門医による診療を受けられたからか、東京に戻ってきたからか、気持ちが安定し始めた。

「お酒を飲んで記憶が飛んでしまうことは、滅多になくなりました」

10環境に恵まれた自分にできること

どうしても求められる男性性

東京に戻ってきてまだ半年程度だが、研究の方向性が見え始めてきた。

昨年の冬に開設した研究者としてのツイッターアカウントを通じて、さまざまなLGBT当事者と知り合った。

メンタルヘルス関連で当事者活動をしている女性と、話が合った。

「その方が開催していた哲学サロンに関わりたいと思って、手伝い始めました」

後に、自分がその哲学サロンを引き継ぐことになる。

もともと主催していた女性とは、いつしかつき合うようになっていた。

自分のことをハンドルネームの「いりやちゃん」と呼び、異性装も受け入れてくれた。

しかし、ケンカをすると呼び方が「古怒田くん」に変わり、「男性だから理論的なんだね」と言われた。

どこか男性性を求められていることを感じた。

「でも、やっぱり自分は男性性を着せられることは無理だ、って感じていました」

自分を受け止めてくれるパートナー

彼女との関係が終わろうとしている時、別の女性と知り合うことになる。

哲学サロンで知り合った、パンセクシュアルの女性。

恋人に男性性を求められていることを相談するうちに、関係が深まっていった。

「その女性が、今のパートナーです」

「彼女は初めて男性とつき合ったそうなんですが、違和感なくセックスできたんです」

今のパートナーは「男性とか女性とか関係ない。いりやちゃんはいりやちゃんだから、そばにいるんだよ」と言ってくれる。

もともとLGBT当事者の交流会などに頻繁に顔を出していた彼女とは、哲学サロンを一緒に運営している。

「哲学サロンは、性とか性別違和について誰か一人が語る場ではありません」

「そもそもジェンダーは定義できないものなので、全員違うという話を分かち合う場にしたいです」

全員違って当たり前

セクシュアリティに関しては、十人十色だと考えている。

MTFが10人いたとしても、性別違和の感じ方や治療の範囲は人それぞれ。

「今はトランスジェンダーを哲学の観点から研究していますが、類型化したくないんです」

「セクシュアルマイノリティって千差万別だから、個々のインタビューを通じた個体研究を進めたいと考えています」

“トランスジェンダーとはこういうものだ” と、単純に結論づけることはしたくない。

トランスジェンダー一人ひとりの経験を発信し、全員違って当たり前だということを伝えていきたい。

「人の経歴を聞くことで、『自分も同じように感じた』って共感が生まれると思うんです」

「逆に『自分は違う』という感情もあるかもしれないけど、それも一つの気づき」

「人の生き方を他者に伝播していく研究の仕方は、拡散力があると思っています」

この研究は、自分だからこそできると信じている。

「僕は家族に認められているし、初めて異性装した時に『お姉さん』って呼んでもらえました」

「疲れたら愚痴れる仲間がいるし、今は支えてくれるパートナーもいる」

「恵まれた環境にいる僕がしなきゃいけないことは、他の人にも同じような居場所を作ってあげることだと思うんです」

「研究や活動を通して、パートナーと一緒に実現していけたらいいなって思っています」

あとがき
届くメールにはいつも、極上の心配りが添えられる。相手を気遣いながら、伝えたいことを伝えるのは難しい。それが形になるのは、いりやさんが備えた語彙力と、世界をできるだけ俯瞰してみようする考えの有り様だと感じる■総論は一つの導きになるけれど、まとめないこと、一つ一つに真実があるとLGBTERは考えてきた。いりやさんの言う「総計として考えたくない」に共感する。共通点の事実、要約の妙は理解しつつ、類型化しない感覚も大切にしたい。(編集部)

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