INTERVIEW

何回でも人生はやり直せる。安心できる場所を見つけてほしい【前編】

大学では言語学を学び、現在、読書サロンを主宰する安田葵さん。小説を語る時の情熱的な語り口やキラキラした眼差し、言葉を丁寧に扱う真摯な姿勢から、言葉や文学への敬意と愛着を感じる。柔和な雰囲気である一方、好きな音楽はハードロックやヘビーメタル、白菜漬を肴に日本酒を嗜むという男前な一面も持つ。そんなギャップも魅力的に映った。

2017/04/13/Thu
Photo : Mayumi Suzuki  Text : Mayuko Sunagawa
安田 葵 / Aoi Yasuda

1987年、静岡県生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業し、今春には、放送大学大学院修士課程人文学プログラムを修了。現在、出版社にて教科書や語学書の制作・編集に従事。2013年よりセクシュアル・マイノリティを題材にした小説について語る読書サロンを主宰している。

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INDEX
01 のびのび育った幼少期
02 興味が持てない男女の恋愛
03 異性愛者になれたら・・・
04 レズビアンで生きていく覚悟
05 一つひとつ向き合って導き出した答え
==================(後編)========================
06 家族との衝突・・・その本質は
07 私と世界をつないでくれた本のこと
08 言葉とコミュニケーション
09 求められる多様性への受容
10 安心できる場所は必ずある

01のびのび育った幼少期

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おてんばな女の子

外で遊ぶのが大好きで、おてんば。

女の子よりも男の子とよく遊んでいた。

当時はセーラームーンの全盛期だったが、自分はまったくハマれなかった。

むしろ男の子向けアニメのトランスフォーマーやデジモンのほうに興味があったし、は虫類や両生類も好きだった。

「わりと母と兄が仲が良くて、2人ともエンターテインメント好き」

「私はロシア文学や古典とかが好きで、父とは好きなものが似ていて気が合いました」

印象に残っている家族のエピソードは、ぜん息発作を起こすたびに父が三島市の実家から箱根まで車を出してくれたこと。

「ぜん息の発作がひどくなれば病院に行きますが、なるべく点滴などはしないほうがいいと医師に言われていましたから」

「空気がきれいな箱根にいると、1時間ほどで発作が落ち着くんです」

少しでも早く症状が楽になるようにと、発作が起こるたびに父は私を抱えて車を走らせてくれた。

家庭環境から育まれた探究心

小さい頃から勉強は嫌いではなかったし、

本も好きでわりとよく読んだ。

わからないこと、興味があることを調べることも好きだった。

それは、今思えば家庭環境のおかげかもしれない。

父はDNAの研究者。「知の権化」みたいな人だ。

家の書斎にこもり、本を読んだり勉強したりしていた。

「小さいときから、太陽の直径のはかり方や恐竜の進化について教えてくれました。父は高校の勉強でも大学の勉強でも、聞けば何でも答えてくれました」

わからない問題があると、父の書斎にあるホワイトボードにメモをしておく。

「父に問題の説明をしていると、面白いもので自分で解けてしまうんです。説明しているうちに頭の整理がつくんですね」

母も探究心が強く、興味があることをどんどん突き詰めていくタイプ。

「ちょっと変わっていて(笑)。やると決めたことを、人が考えつくゴールよりも先に行っちゃうんですよ」

母は韓国ドラマにはまり、韓国語を勉強していたことがある。

ここまでなら、よくいる韓国ドラマファンだろう。

母は、日本でまだ放映されていない日本語字幕なしの韓国ドラマを観ようと、韓国のテレビ局に登録をして、家で観られるようにした。

また、漢字の字幕がある方がわかりやすいかもと、台湾からDVDを取り寄せ中国語字幕で韓国ドラマを観ていた。

その母の影響もあってか、自分も海外の文化や語学を学ぶことに抵抗がなく、英語や韓国語、中国語、最近ではポーランド語などの勉強もしている。

いつからか大事に考えているのは「とにかく勉強は私を裏切らない」ということ。

「人は私を裏切るけれど、勉強は私を裏切らない」

このことに、わりと早くから気付いていたのは良かったと思っている。

02興味が持てない男女の恋愛

恋愛の「特別」がわからない

周囲との違和感を覚えたのは、今思うと中学生ぐらいの時から。

中学・高校ともに共学で異性が近くにいる環境であったこともあり、
しだいに友達同士の話題は、好きな人や恋愛に関する話が多くなっていった。

「私はまったく恋愛に興味が持てなかったんです」

「何でみんながそんなに浮かれているのか。まったく意味がわかりませんでした」

人と付き合う意味もわからなかった。

「友達は『彼は特別だから』って言うけれど、私からしたら “人ってみんな特別な存在でしょ” って」

「友人が『夜遅くまで彼と電話しちゃって』とか言っているのを聞いて、 “私のメールには返信してないけどね!” って思ったり(笑)」

「付き合う人を優先する気持ちがまったく理解ができなくって。友達に嫉妬していましたね」

大好きな女の子の存在

高校3年の時。

大好きなクラスメイトができた。

「初めはそれが恋だとは思っていなくて。友達として大好きだと思っていました」

「でも、授業参観の時にその友達の親にわざわざご挨拶にいったり。夢の中でその女の子を押し倒しちゃったり(笑)」

しだいに、「これは何なんだろう」と思うようになった。

心の中にモヤモヤが生まれた。

ただ、大好きな子を押し倒す夢を別の友達に話したことがあったが、

「まあ、いいんじゃね」と軽く返してくれたため、自分もそこまで深く考えることはなかった。

03異性愛者になれたら・・・

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とまどい・葛藤

もしかしたら女性が好きなのかもしれない。

そんな思いが頭をよぎることもあったが、それはどこかフィクションの出来事のようにも思えた。

高校生の時は「レズ」という単語しか知らなかったし、「それって男性向けのAVでしょ」という理解だった。

高校時代から、毎日のように「レズビアン」や「新宿2丁目」についてインターネットで調べていたが、偏った情報も多かった。

だから当時は、とても真剣に「レズビアンの道を選ぶなら、私は将来AV女優になるしかない」と思っていたのだ。

自分を同性愛者だと認めてしまったら、その人生しか歩めなかったらどうしよう。

レズビアンであることは、自分の人生にどんな影響を及ぼすのだろう。

何かが大きく変わってしまうのではないか。

考えれば考えるほど、レズビアンとして生きていくことに覚悟ができなかった。

同時に、男の人を好きになれたら、異性愛者になれたら・・・。

そんな思いも抱いていた。

2年におよぶ男性とのお付き合い

大学2年生のときから2年間。同じ大学の同級生と付き合った。

その男性と付き合ったきっかけは、自分の大失恋。

「高校のクラスメイトのことがずっと好きだったんですが、その子に彼氏がいて同棲していることを知ったんです」

「その話を聞いて、泣き崩れました。すごくショックが大きくて大きくて。周囲が心配するほど、悲しみに暮れていました」

そんな時に、失恋の話も含めいろんな思いを受け止めてくれたのが彼だった。

「付き合う前に、もしかしたら私は本当に女の子しか好きになれないかもしれないし、あなたのことを踏み台にするかもしれないよって伝えたんです」

「『それでもいいよ』って。本当にやさしい彼でした」

しかし、付き合った2年間、彼と男女の関係に発展することは一度もなかった。

彼からそういうアプローチをされることもなかった。

付き合う時の話を覚えていて、私の気持ちを優先してくれていたのだろう。

「とても信頼していていい人だとは思っていたけれど、彼とそういう関係になることはまったく想像できませんでした」

どう頑張っても男性のことを友達以上にみれない。

「彼には本当に感謝しています。私にとっては本当に貴重な2年でした」

「彼のように紳士的で人間ができた男性でも無理なら、どんな男性であってもダメなんだな、ということがはっきりわかりました」

男性は好きになれないということは、自覚できた。

とはいえ、「それじゃあ、レズビアンで生きていこう」とはなれなかった。

04レズビアンで生きていく覚悟

新宿二丁目

「就職して東京に引っ越したら新宿二丁目に行くというのが生きがいでした(笑)」

大学は三島市の実家から新幹線で通学していたため、大学時代は行くことができず、新宿二丁目はずっとあこがれの場所だったのだ。

24歳の春、出版社に入社し社会人になった。

東京に引っ越してきた当日、念願の二丁目を訪れた。

フィクションではなく、自分と同じ人が本当にいるのかこの目で確かめたかったのだ。

「行ったのは、いわゆるレズビアンバー。今の店名はゴールドフィンガーですが、当時はモーテルと言う名前でした」

「ごく当たり前に、店員さんが私に『どんな子がタイプなの?』って聞いてきたんです」

「その瞬間に、号泣。本当に安心して。自然と涙が出てきちゃいました」

涙がとまらず、いつまでもトイレで泣き続けた。

それまでは、ずっと悩みの渦中にいた。

「女と男がセットで当然」という常識の中で生きてきたから、それと自分は違うのであれば、どう違うのかということをずっとはっきりさせたかった。

人間、それぞれ違うことはわかっているが、それでもやっぱり名前や所属がほしい。

店員さんからの質問は、レズビアンのいるリアルの世界がごく当たり前にここにあることを気付かせてくれた。

心底ホッとした。

これを機に自分の毎日は様変わりし、花開いた。

「女の子を好きな可愛い女の子が、この世の中にはこんなにたくさんいるんだー!!」

毎週二丁目に通い、多くのレズビアンやそれ以外のLGBTと出会うことで、世界は広がっていった。

アイデンティティを模索

同時に、「自分が何者なのか」を模索しはじめた。

「レズビアンらしく振舞おうって。レズビアン至上主義者みたいになっていました」

「髪の毛をツーブロックにしたり、金やピンクにカラーリングにしたり。ゴスロリの格好をしたり」

「想像できる自分のやりたいことは、ほとんどやったと思います(笑)」

自分の想像するレズビアンらしい服装、レズビアンらしい振る舞いを次々と試した。

レズビアンのオフ会には必ず参加した。

でも、本当は “レズビアンらしい〇〇” なんてどこにもない。

自分の思うレズビアン像を追い求めて3年くらい経つと、だんだん凝り固まった考えがほぐれていった。

「レズビアンだからって友達になれるわけじゃないし、人間的に尊敬できる人もいれば、そうでない人もいるということに気付きました」

オフ会で、読書の話になっても話の合う人がほとんどいない。

無理に話を合わせようと、1冊も読んだことないのに「東野圭吾っていいですよね」とウソをついたりもした。

レズビアンの中でさえ、無難に過ごそうとしている自分が嫌だった。

しだいにオフ会に行かなくなった。

05一つひとつ向き合って導き出した答え

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両親との溝

だレズビアン・アイデンティティにどっぷり浸かっていた頃。

東京に来た両親が自分の派手な服装や髪型を見て怒り、ケンカになった。

「『あなたが東京で楽しいのはわかったから、それを三島に持って帰って来ないでね』」

「親からしてみたら、『自分の娘が東京に出てから、わけのわからない生き物になっちゃったな』という感じでしょうか」

まだ三島にいた頃は服装に興味がなかったので、派手な格好をすることもなかったし、化粧すらしていなかった。

昔から怒られることはほとんどなかった。

母からすると、聞き分けの良いいい子だったと思う。

母に「勉強しろ」と言われたらその通りにしていたし、衝突したり反抗したりすることもあまりなかった。

それなのに、テストでいい点を取ると「女の子があんまり頭良くてもね」と言われた。

ポーランド文学が好きだと言うと、「(変な目で見られるから)友達には言わないほうがいい」とたしなめられた。

振り返ってみると、両親が理解できる範疇であれば何も言われなかった。

でも、そこから逸脱することは許されなかったように思う。

頑張って生きてたどり着いた答え

とんでもなく、真面目でいい子だった。

だから、自分のセクシュアリティに疑問を覚えてからも、世の中が求める女性像に必死で近づこうとした。

ちゃんと男性を好きになれなきゃいけない。

いつかは男性と結婚して、出産して・・・その通りにやっていこう。

そう思ってきた。

自分は頭で納得しないと前に進めないタイプ。

だから、レズビアンとして生きる覚悟ができるまで時間がかかったし、そうなるまでに、自分なりに一つひとつ答えを出さなければいけなかった。

「本当に男性を好きになれないのか、本当に自分はレズビアンなのか、レズビアンならどんな生き方ができるのか」

「一つひとつ向き合って、自分で答えを出してきたんです」

「一つひとつ積み重ねてきて、その答えが今の自分なんです」

石橋を叩き割って飛び越えて進むタイプと言われるほど、とても慎重派。

でも、頭で納得してしまえば、あとはすんなり受け入れられるし覚悟は固い。

一つひとつ向き合って導き出した答え、今の自分を信頼している。


<<<後編 2017/04/15/Sat>>>
INDEX

06 家族との衝突・・・その本質は
07 私と世界をつないでくれた本のこと
08 言葉とコミュニケーション
09 求められる多様性への受容
10 安心できる場所は必ずある