INTERVIEW

決められた性別をまとわなくてもいい【前編】

見目も麗しい若き女性。しかしそれを目の当たりにしても、松見さんという人物の半分を知ったことにしかすぎない。いまも男性だが、女性の服を着ると女性のスイッチが入るという。ただ、心の性については、「自分でも分からないところがあるけど、心は男性の方が近いと思う」と。自らの中に両方の性が存在すると語れるようになるまでの23年間の人生ついて、じっくり話を聞いてみた。

2016/04/11/Mon
Photo : Mayumi Suzuki Text : Koji Okano
松見 明良 / Akira Matsumi

1993年、京都府生まれ。桜美林大学芸術文化学群演劇専修科を今春卒業。もともと、装うことが好きで、卒論は「女装」についてまとめた。現在、タレントを目指して、姫百合夢那の名前で芸能活動中。女性も男性も演じることのできる、いわゆる究極の “性に囚われないタレント” になりたいと考えている。

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INDEX
01 女の子の服を着るのが好き
02 男の子なんだから男の子らしく
03 心と身体の変化を通して
04 男は女を好きになる生き物だ
05 傷ついた人を慰める芸能の力
==================(後編)========================
06 夢を絶たれて
07 鬱屈した日々に差し込んだ光
08 やがて故郷から旅立つ日
09 解放されていく本来の自分
10 自分の性別は自分で決める

01女の子の服を着るのが好き

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思わぬ気づき

どちらかといえば、男の影が濃い家庭環境で育った。

3人兄弟の末っ子で、6つ上、3つ上の兄が。ものごころが付いた頃には、お古の遊び道具があった。

もちろん、ミニカーやブロックなど、男の子向けのおもちゃだ。

「その頃は特に何も考えず、目の前にあるおもちゃで遊んでいました。最初に自分の服装に違和感を覚えたのが、3歳の頃です。母親とプールに行ったときに、女の子用のスイムウェアを着せられたんです」

「なんでも母親が買い間違えたらしくて。胸まで隠れたその水着で泳いでいると、同じプールにいる女の子たちに近づいた気がして、妙な親近感と安心感を覚えたことを今でも覚えています」

後から聞けば、それは胸まで隠す型の男の子向けの水着だったのだという。

あっくん(明良)にはこっちの方が似合うと思い、母親が選んだ。

しかしこの時に抱いた気持ちが、今の自分の出発点になっている。

ピンクの服が欲しい

気づかないうちに、女の子っぽい水着を与えていた母親。

しかしプールに通う以外、普段の生活においては至って男の子だった。

「あのスイムウェアを着たからそう思ったのか、もともとそういう志向があったのかは分かりません。けれど小さな頃から、女性の服にすごく憧れていて」

「一緒に買い物に行けば、母親にピンク色の服やスカートをねだっていました。でも母親は『あっくんは男の子に生まれたのに、何でそんなことを言うの?』と、いつも困った顔をしていました」

どれだけ頼んでも、着させてもらえるのは男の子の服。

青いセータや仮面ライダーの帽子など。嫌で仕方がなくて、セーラームーンのプリントのトレーナーが欲しいと言ったこともあった。

でも泣いて請う、まではしなかった。
「争ってまでは、という気持ちがどこかにあったんです。自分は文字通り、子どもで非力だし、親に養ってもらっている立場。決定権もない。そんな状況で反抗しても何も変わらない。昔からどこか冷めていて、客観的に自分のことを考えてしまう人間だったんですよね」

女の子の服は買ってくれなかった母。

しかし一方でおもちゃは、ままごと道具などを買い与えてくれた。

「自分が男の子のおもちゃを望まなかったというよりは、『この子には女の子のおもちゃが向いている』と、母親が考えていたような気がします。あと私、小さい時から、よく家事のお手伝いをしていたんです。私が頑張っているのを見て、『あっくん、なんで女の子に生まれなかったんだろうね』って母が言ったこともありました」

「兄たちは外遊びばかりで全く母を手伝わないし。ひょっとしたら母は末っ子の私を身ごもった時、できたら女の子がいいなと思いながら、臨月を迎えたのかもしれません。そんなこともあって、私にはままごと道具を与えてくれたのかなって」

「でも基本、母は『男児たるものこうあるべき』という考えが強くて、ままごと道具は与えられても、女の子の服は着せてもらえませんでした」

02男の子なんだから男の子らしく

父の威圧感

ままごと道具はよくても、女の子の服は着させてもらえない。

常識の判断に思える母の行動の裏には、納得せざるを得ない確固とした理由があった。

「私の家庭、ものすごく父の力が強くて。『メシ』『風呂』『寝る』とだけ言い、母を従わせてしまう。ものすごい亭主関白な人、それが父でした」

「子どもの言う事だから、と笑いながら、一回くらいセーラームーンの服を着させてくれてもよかったと思うんです。でもそんな冗談、父には通じない。『男児たるものこうあるべき』という考えが、いつしか母にも伝播していたんです。2人の兄も、そうやって育てられましたし」

父はとにかく野球が大好きで、白球を追いかけることが、男性らしさだと信じ切っていた。

ゆえに小学校に入れば、上の兄たち同様、野球をやらされることになる。

「当然、坊主頭にされました。嫌で嫌で仕方がなかった。そもそも運動に興味がなかったし。放課後も外遊びなんかしませんでした。足が遅いから、学校の徒競走もダメ。でも学校の授業だし最後まで走らなきゃならない。順番なんか気にしないでいいんだ、って必死に言い聞かせて、ゴールしていました」

当然、野球も上手くはいかない。
守ってもボールがグラブからこぼれるし、打席でもちっともヒットが打てない。

「たまに父が練習や試合を観に来たりするんです。そのときバットも振らずに三球三振なんてなれば、家に帰ってから酷く怒られる。『なんでバットくらい振らないんだ』と。たまに手が飛んでくることもありました」

「だから三振になっても、バットだけは振り切るようになりました。そうじゃないと、また父に怒られるからです。兄2人は運動神経が良かったから比較されるし、もう大変でしたよ」

しかしそんな父のスパルタ教育はいい面もあった。

小さな頃から野球漬けの日々を送ったおかげで、段々と運動ができる身体になっていったのだ。

小学校の高学年になる頃には、体育への苦手意識は徐々に薄まっていった。

募る思い

では、女性の服への憧れはどうだったのか。

「小学生になっても、興味が途切れることはありませんでした。男の子の服で学校には通っていたけれど、やっぱり違和感がありました。そんなこともあってか、野球の練習以外は、外に出なくなりました。男の子の服で出かけるのが、自分の気持ちに嘘を付いているようで、後ろめたかったから」

「家で一人で遊んでいるうちに、母親のクローゼットをこっそり開けるようになりました。もちろん大人サイズだから、私の身体にはフィットしないけど、ピンクの服やスカートを履くと、なんだか気持ちが落ち着きました。やっぱり私は、こっちの服を着るべきなんだって」

しかしやはり争いを臨まない性格だった。

女性の服をねだっても、拒まれたらそれ以上、主張はできない。当然、外に母の服で出かけることもない。

抑圧された生活の中で自分を解き放つもの、それが束の間の女装の瞬間だった。

03心と身体の変化を通して

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野球を捨てる時

野球の練習以外では、家で一人で遊んでいたからだろうか。

小学校高学年に差し掛かる頃には、ぽっちゃりした体型になっていた。

「家ではいつもお菓子を食べてたし、それにゲームも大好きだった。『牧場物語』なんかやりだすと、いつまでもコントローラーを握ってて。それで肥満体になってしまいました。ちょうど思春期に差し掛かる頃で、周りの目も気になりだしたんです。細くなりたい、美しくなりたい、と思うようになりました」

「かっこよくではなく、美しくなりたいと思ったんです」

そこで始めたのが、スポーツに打ち込むことだ。

野球はやめて、バスケットボールと陸上の長距離に打ち込むことにした。

「とにかく父が口うるさいのが嫌だった。男だからスポーツは必ずやれ、と強いるので、口の挟めないスポーツに取り組むことにしました。野球以外なら、父はああだこうだと講釈を垂れられることもできないと考えたんです」

太ったとはいえ、小さな頃からの野球漬けで、スポーツに対する苦手意識はなくなり、運動神経も上がっていた。

バスケットボールと陸上の長距離に打ち込むことで、みるみる体重が落ち、いつの間にかスリムな身体になっていた。

さなぎから蝶へ

肥満が解消されていくにつれ、周囲の自分を見る目が変わった。

廊下ですれ違うと、女子がこそこそ自分の方を見て話をしているのに気づいたのだ。

「初めは虐められているのかな、と思ったんです。勝手に良くない噂でもされているんだろうなって。でもその女の子たちは、細身になった僕を見てかっこいいね、と注目してたみたいなんです」

それに気づいて、自分の顔を鏡でよく見てみた。

「自分で言うのも憚られるんですが、前よりは美少年になったのかな、と。誤解を恐れずに言うと、ジャニーズっぽい風貌になったのかも、とも(笑)。今まで学校で話題にすらならないような存在だったので、女子にちやほやされるのは、純粋に嬉しかったです」

「スポーツに打ち込んだおかげで、変わることができた。大げさだけど、さなぎから蝶になったような思いでした。その充実感からか、この頃は家でこっそり女装することもありませんでした」

しかしその変貌は思わぬ副作用も生んだ。男子に嫉妬され、虐められたのだ。

「学年で一番人気だった、同じ町内の双子の兄弟よりも、女子の間で人気が高くなってしまって。男子から無視されたりして辛かったです。でも自分が細くなった、美しくなったことは、今になっても正義以外の何者ものでもないと思っています」

04男は女を好きになる生き物だ

女の子が好き

こっそり隠れて女装をしたり、美しくなりたいと願ったり。

男性でありながら女性の気持ちも持ち合わせている風でもあるが、では恋愛の方はどうなのか。

「初恋は4歳の時です。母の友達の娘、女の子を好きになりました。同級生で幼稚園も同じ、母とその友達はうちの父親が経営する会社で働いていたので、帰ってからも一緒に遊んでいたんです。恋愛とも言えないようなものでしたが、それ以降、小学生の時も女の子しか好きになったことはありません」

痩せて風貌が変わってからは、よく女の子にも告白されるようになった。

でも言い寄ってくるのは、いつも自分が好きではない子ばかり。なのに決まって、好きな女の子には振られてしまう。

短髪が似合い、はきはき話す、さっぱりした性格の女の子。宝塚歌劇団の男役のような子が理想の女性だった。

あなたは男

女性らしい服装を好んだりしても、恋愛対象は女の子だった理由。

それは母親の言動や教育によるところも大きい。

「なぜか母からは、あっくんは男だよ、とたしなめるように何度も言われました。テレビでおすぎさんのような、今でいうおネエタレントが出てきたら、見ちゃダメと言って消すんです。それに学校でも性教育で『男は女と結婚し、子をもうける』と教え込まれましたから、そういうもんだと思い込んで疑いませんでした。刷り込みって、恐ろしいですね」

同級生にちやほやされ、一時は女装もしなくなったとはいえ、恋愛の対象まで変わらなかったのは、周りの環境によるものだった。

05傷ついた人を慰める芸能の力

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被爆地を見て

体型の変化で周りの注目を浴びた小学生高学年の頃、自分の考えを大きく変える出会いもあった。

「小学6年生の時に広島に行きました。原爆ドームや平和記念資料館を見て、その被害の大きさ、被爆者の方々の苦しみを想像し、言葉を失ったんです。その年はちょうど2005年、戦後60年ということで、夏休みにはテレビで第二次世界大戦中の映像がたくさん流れました」

そんななか心を奪われたのが、戦争終了直後、地方を巡業して歌を届ける美空ひばりさんの姿だ。

「戦争で何もかも奪われた人たちが、ひばりさんの歌を聞いて笑顔を浮かべるんです。この方たちにとって、この歌声は救いであり、将来への希望なのだと」

「私もそんな存在になりたい、と思いました」

この頃から、次第に芸能界に憧れるようになった。

東京に行きたい

「夢を見つけたから、一刻も早く行動に移したいと思うようになりました。小学校を卒業したらオーディションを受けて、東京に行く。12 歳ながらに人生設計してみたんです」

当時、女子からモテ始めたことがもたらした自信も、後押ししてくれたのだろう。
しかし元々、争うのが苦手だ。できれば波風を立てたくない。

両親、特に父親が反対することは目に見えていたから、なかなか言い出せなかった。

「それでも言わずには入られませんでした。そうして迎えた小学校卒業の日、勇気を振り絞って、まず母に自分の思いを伝えてみたんです」

<<<後編 2016/04/13/Wed>>>
INDEX

06 夢を絶たれて
07 鬱屈した日々に差し込んだ光
08 やがて故郷から旅立つ日
09 解放されていく本来の自分
10 自分の性別は自分で決める