INTERVIEW
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MFTとして埋没生活を送ったいまだから思う、これからの自分の役割。【前編】

ジャケパンスタイルで颯爽と現れ、ちょこんと会釈。吉田朱里さんの第一印象は、格好良さのなかに可愛らしさが見え隠れする大人のひと。話してみると、発せられる言葉から感じられたのは、他者や社会への冷静かつ大らかな視点。ままならない時期を過ごしながらも、早くから自らの生き方を模索し、ここまで歩んできたからこその視点だと感じた。

2022/09/24/Sat
Photo : Taku Katayama Text : Kei Yoshida
吉田 朱里 / Akari Yoshida

1979年、山梨県生まれ。祖母、母、そして厳格な父のもとで、ひとりっ子として育つ。小学6年生の頃、第二次性徴期を迎えた体に違和感を覚え始め、大学中退後に性別適合手術を受け、改名、戸籍変更を果たす。その後は女性として一般企業に9年間勤務。現在は、医療機関に勤めながら、クリエイターとしてLINEスタンプやウェブサイトを制作している。

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INDEX
01 近所でも有名な “カミナリ親父”
02 テレビも漫画も禁止
03 MTFはニューハーフになるしかない?
04 歴史漫画と御朱印巡り
05 自分の体をどうにもできない
==================(後編)========================
06 「女性として生きたい」と父へカミングアウト
07 ようやく性別適合手術を
08 埋没して不自由なく生きている後ろめたさ
09 反対意見にも「そうだよね」
10 新しいことを経験して世界を広げたい

01近所でも有名な “カミナリ親父”

勉強しないと怒鳴られる

「いまの仕事は、デザイン系ではLINEスタンプをつくったりしています。絵を描くのが好き・・・・・・っていうか、父の影響もあって」

「画家なんです、父が。その流れで、絵は小さい頃から描いてました」

「でも、画家にはなりたくないなぁって、ずっと思ってました。食べていくのは大変だと考えていたので(笑)」

たまに出かけることはあっても、いつも家で絵を描いている父。
「勉強しろ」が口癖だった。

「いや、もう、すっごい厳しい父で。大声で怒鳴るので、近所でも『スパルタ教育』だと有名でした」

学校から帰ってくると、すぐ机に向かって勉強を始める。
勉強しないでいると、父の部屋に机を運ばされ、監視されていた。

「言った覚えはないんですが、私が『東大に入りたい』とか言ったらしくて。それを真に受けた父が『東大に入るには、もっと勉強しなきゃだめだ!』と。・・・・・・言ってないと思うんですけど(笑)」

「学校帰りに友だちの家に寄って遊ぶってことはあったんですけど、家に帰ったら遊びに出かけるのもダメって感じで、いつも勉強優先でした」

「勉強しないと、猛烈な勢いで怒鳴られるので、怖かったし悲しかったですね。いつも泣いてました」

「そのおかげで学校の成績は良かったんです。でも、勉強の成果が出なければ、父も諦めて、勉強させなかったかもしれないですよね(笑)」

母は父の教育に反対していたけれど

勉強のこととなると、かなり厳しい父だったが、ほかのことで怒られた記憶はほとんどない。

「私が『東大に入りたい』と言ったのを鵜呑みにして・・・・・・。真っ直ぐなタイプなんですよ(笑)。勉強を教えてくれたりもしました」

「母は、『そんなにスパルタ教育しても・・・・・・』って父に言ってたらしいんですが、カミナリ親父には意見が通らなかったみたいで」

「ちょっと “天然” 入ってるような感じの母なので、私に対しても、あんまり怒ることはなかったですね」

まさに“昭和のカミナリ親父”のような父。
しかし、そんなスパルタ教育も高校入学までだった。

「もう大人だから自分で勉強しろって、やっと解放されたんです」

「でも、それまでの反動で、ぜんぜん勉強しなくなっちゃって。それまでも好きで勉強していたわけじゃないので、『勉強なんて、もういいや、やりたくない』って、なっちゃいました(笑)」

02テレビも漫画も禁止

学校は父から解放される場所

父のスパルタ教育のもとで、ほぼ娯楽がなかった子ども時代。

クラスでの立ち位置といえば、勉強ばかりしていて、真面目な秀才キャラ・・・・・・というわけでもなかった。

「それも父の影響なのかな、ちょっとアバンギャルドなところがある子だったみたいです」

「なんかいつも勝手なことをやっているような。たとえば、授業参観のときは黒板を見ないで、ずっと父兄のほうを見ているとか(笑)」

「でも、まぁ、クラスのみんなも、好奇心旺盛な子が多くて、まとまりがないけど、全体的に仲がいいっていうか」

小学校は1学年に30人ほどの1クラスしかないような小規模な学校だった。

当時としては珍しく、生まれ順の男女混合名簿を採用していて、遊ぶときもみんな一緒。クラス替えはないので、クラスメイトは6年間ずっと同じ。

「特に誰と仲がいいっていうより、ほんとみんな仲がいいって感じでした」

「いつも休み時間は、校庭の遊具で遊んでましたね」

「学校は、父から解放されて過ごせる場所だったので、まぁまぁ楽しかったです(笑)」

中学では美術部に

ちょうどその頃、子どもたちのあいだでテレビゲームが流行った。

「小学3年生のときに “ファミコン” を買ってもらったんですが、すぐに取り上げられて、隠されてしまって、それっきり」

「返してほしかったけど、抵抗できませんでしたね、父が怖くて(笑)」

「ファミコンだけでなく、家ではテレビは見るな、漫画は読むな、でしたね。そういう遊びが皆無なんです」

「家では、食事と風呂と勉強。それだけでした」

そんななか、中学校では美術部に入部する。

画家にはなりたくない。
そう思ってはいたけれど、子どもの頃から絵を描いているから部活をやるなら美術部・・・・・・自然な流れだった。

「小学生の頃から、夏休みや冬休みは、父に言われてコンクール用の絵を描いていたんです」

「父からは『これを描け』って絵のモチーフを指定されてましたけど、それは小学生の頃の話ですね(笑)」

「絵を描くことは、親が画家なので、プレッシャーに感じることもありました。下手に描けない・・・・・・っていう(苦笑)」

3年生になると美術部では部長を務めた。

学園祭に展示するための作品を描いたり、写生をしたり、1年生の頃には希薄だった部活動も、少しずつ活発になっていく。

「部活のあとは、帰宅して勉強。中学生になっても、反抗期らしい反抗期はなかったかも。やっぱり父が怖すぎたんですかね(笑)」

03 MTFはニューハーフになるしかない?

トランスジェンダーだという気づき

小学6年生の頃から、少しずつ「あれっ?」と思い始めた。
成長するにつれて、体型が変わっていく。

自身の体に起こる第二次性徴は、想定しない変化だった。

「なんでだろう・・・・・・って。それまでも、ぼやぁっと、大人になると男女で体つきが違ってくるって知ってたんですけど、地元の本屋に行って、エロ本で女性の裸の写真を見て、『あ、自分と違うんだ』と確認したんです」

学校の性教育の時間にも、第二次性徴については学んだような気もする。
しかし、雑誌の写真のほうがリアルだった。

「なんで、自分は、男性の体なんだろう」

「女性として成長していかない自分の体に不満を覚えました」

「それで・・・・・・その本屋にはニューハーフの雑誌もあったんですよ。それを読んで、『なるほど、手術できるんだ』って」

「あれっ?」と思い始めてから、その違和感を友だちにも家族にも、一切言わずにいた。

そして当時の雑誌から、手術を経た “ニューハーフ” と呼ばれる人々の姿を見て、「自分はこれだ」と思った。

「それからは、将来はニューハーフになるしかないのかなって、考えるようになりました」

MTFって言葉は知らないけど

その頃は、まだインターネットが普及しておらず、雑誌で見た以上の情報を集めることはできなかった。

ほかに自分をあてはめる選択肢も見つからない。

「まだMTFという言葉はなかったですけど、自覚はありましたし、将来の仕事となると、ニューハーフしかないと・・・・・・」

「生きているのがイヤだってところまではいかなかったけど、自分の体がずっと気持ち悪くて、こっそり除毛クリームとか使ってました」

「母の服を着てみたこともあります」

「見つかってしまって、『そういうことしないで!』って言われました。まるで変態みたいだと思ったのかもしれないですね」

第二次性徴が現れる思春期には、一般的に性愛についても関心が強くなる傾向があるが、あまり興味がなかった。

「好きな子とか、いなかったですね」

「興味がもてなかったんですよね。いまも、あんまり興味がないかも・・・・・・。中学生の頃の男友だちも、下ネタとか言うタイプはいなくて」

自分の体に対する違和感を抱えて、将来に対する漠然とした不安を感じながら、日々を過ごしていた思春期だった。

「どうしたらいいんだろう、って悩みながらも、結局は、なるようにしかならないのかなって思ったりもして。そしてそのまま、ずるずるっと生きてきた感じはありますね(笑)」

「MTF」「埋没」。そんな言葉を知るのは、もっとずっとあとのことだった。

04歴史漫画と御朱印巡り

歴史好きは父の影響

高校に進学し、ようやく父のスパルタ教育から解放された。
やっと、勉強以外の自分の時間がもてるようになったのだ。

「その頃から漫画を読み始めました」

「父は、私には読むことを禁止してたくせに漫画を持ってたので、まずは父の本棚から、ちばてつやの作品を読み始めました」

「歴史漫画も、かなり読みました。歴史好きは父の影響だと思います」

父は、常に子どもを机に縛り付けられていたわけではない。
城や神社仏閣、博物館など、学びにつながる場所には、積極的に連れて行ってくれていた。

「歴史漫画では、『花の慶次』とか読んでました。歴史のなかでも、戦国時代が好きなんです」

手書きだからこその御朱印の魅力

歴史愛は、いまも健在だ。
世界遺産検定を取得し、御朱印巡りのサイトも運営している。

「城とか神社仏閣とか、歴史的建造物は、古いものなのでそれだけで価値があるんですが、建てられた時代によってデザインが違うのもおもしろいんですよね」

「神社仏閣だと、時代だけじゃなくて、宗派によってもデザインが違って、それぞれに個性があるのが、見ていて楽しいんです」

「たとえば神明宮。阿佐ヶ谷とかにあるんですけど、神明宮は三重県の伊勢神宮と深い関わりがあるので、建物も伊勢神宮と似ているんですよ」

歴史建造物巡りから始めた御朱印集めも、楽しみが尽きない。

「御朱印を集めて、一冊コンプリートする楽しさもあるんですが、場所ごとに御朱印のデザインも違うし、手書きなので筆跡とかも違う」

「カッコいい字を書く人もいるし、そうかと思えば、丸っこくてかわいい字を書く人もいて。イラストを描いてくれる人もいるんですよ」

今後は、御朱印巡りのサイトをさらに充実させたいという思いもある。

できる限り情報収集をしてから現地に行き、建物だけでなく、参道から境内の様子なども、写真とともに細かくレポートする。

それもまた楽しいのだ。

そんな現在の活動の基盤は、幼い自分を連れて、全国各地の歴史スポットを訪れていた、父がつくってくれたと言えるかもしれない。

05自分の体をどうにもできない

男っぽくなっていく体がイヤ

「高校は部活には入らず、学校から帰ると、漫画を読むか、父のパソコンでゲームをするか、って感じでした」

「父のパソコンでゲームをしていることは、高3のときにバレたんですが、『じゃ、オレもやるわ』って感じで(笑)。怒鳴られはしなくなりましたね」

部活に入らなかったこともあって、友だち付き合いも、ほぼなかった。

「地元から離れた高校に行ったので、初めて会う子たちばかりで」

「1年のときは、友だちも多少いたんですけど、2年になってクラスが別になっちゃってからは、ひとりでいることが多かったですね」

「もともと友だちをつくるのが得意じゃなかったので」

悩みを打ち明ける相手もいなかった。

「体が、どんどん男っぽくなっていくのはイヤだなって、ずっと思っていたんですけど、高校生だし、手術することもできないし、自分の体をどうすることもできないので、そのままでいるって感じでした」

「男性用の制服もイヤでしたけど、学ランではなくてブレザーだったので、まだマシだったかなとも思います」

「ただ、正直なことを言えば、プリーツスカートが着たかったし、ルーズソックスも流行ってたので、はきたいなって思ってました」

「ルーズソックスは、密かに買って、家でちょこっとはいてみたりもしましたが、外ではく機会もないし・・・・・・」

ひとりで悶々とするしかない

中学生のときに知ったニューハーフの存在。
高校生になっても、それ以外に自分の存在を重ねられる言葉は見つかっていなかった。

「やっぱり、将来はニューハーフになるのかな、って」

「なりたいわけではないけど、ほかにどうしたらいいのかわからないし、しようがないから割り切るしかないのかなって考えてました」

「・・・・・・ずっと、しんどさはありましたね」

「誰かに話したりして、悩みを解消することもなかったし、ずっとひとりで悶々とするしかなくて」

そのつらい状態は、大学へ進学しても続いた。

 

<<<後編 2022/09/29/Thu>>>

INDEX
06 「女性として生きたい」と父へカミングアウト
07 ようやく性別適合手術を
08 埋没して不自由なく生きている後ろめたさ
09 反対意見にも「そうだよね」
10 新しいことを経験して世界を広げたい

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