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ノンバイナリーであることも性的虐待も、ありのままの自分を知ってもらいたい【後編】

ノンバイナリーであることも性的虐待も、ありのままの自分を知ってもらいたい【前編】はこちら

2021/11/27/Sat
Photo : Mayumi Suzuki Text : Hikari Katano
小川 藍 / Ai Ogawa

1991年、埼玉県生まれ。機能不全家族や性別違和、性的指向の悩みなども混ざって、高校生の頃から精神的に不安定な時期を過ごす。大学中退後、家具職人を養成する企業に就職。その後、沖縄・西表島にリゾートバイトに出向き、三線に出会う。現在は重度障害者の訪問介護をする傍ら、性的虐待・暴行の被害者を支援するための情報発信や、三線の古典音楽を広めるために活動中。

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INDEX
01 活発だった男の子っぽい性格が一変、大人しい子に
02 兄の友人からの性的虐待
03 ノンバイナリーで女性が好き
04 バレーボールに明け暮れる日々
05 オープンリーレズビアンの友人
==================(後編)========================
06 重なったストレス、PTSDで心身不調に
07 自分で決断した大学中退
08 就活失敗、呼ばれるように沖縄へ
09 三線との出会い
10 人を癒す力で励ましたい

06重なったストレス、PTSDで心身不調に

友人と先生の同性愛否定

高校生の時にも好きな女の子がいた。傷付くのが怖くて、その子に遠回しな質問をしてみた。

「ゲイだったりレズビアンだったり、世の中には同性愛者の人がいるんだけど、どう思う? って聞いてみたんです。そうしたら、『それ、気持ち悪いね』って言われて」

「あ、そっか、気持ち悪いんだ。じゃあ話すのは無理だって思いました」

結局、相手に心の内を打ち明かすことはなかった。

本当の自分を打ち明けた時の周りの反応が怖い。
好きな子が同性愛を嫌悪しているのを知ってしまった。

「でも、本当の自分を隠して過ごすのは、すごいストレスで。ボランティア部の顧問の先生なら理解があるんじゃないかと思って、勇気を出して話してみたんです」

「そしたら、レズビアンは将来すごく大変だからやめた方が良いよって言われました(苦笑)」

すごい偏見だと感じた一方、当時は大きなショックを受けた。
先生は受け止めてくれると思っていたからだ。

「まさか、先生から拒絶されるとは思ってなくて。絶望だ、どうやって生きていこうって感じでした」

加害者との再会

心理的なショックはさらに重なる。

高校生の時、バイト先に性的虐待の加害者がたまたまやって来たのだ。

「この人なんか見覚えあるなって思ったら、4歳の時のあの人だって気づいて。そこから少しずつ当時のことを思い出すようになりました」

それまでは、日々の忙しさなどで幼少期のつらい出来事を忘れていたが、再会をきっかけにだんだんと気づきはじめ、「あの時のことは性的虐待だったのでは?」と思いいたる。

「それからは結構しんどくて、ちょっとうつっぽかったです」

「人って信用しちゃいけないんだな、安易に人って信用できないなって思うようになりました」

先生の同性愛への無理解、好きな相手からの間接的な否定、性別違和、幼少期に受けた性的虐待、兄の騒動のフラッシュバック。

心は疲れ切ってしまった。

複数の悩みやつらい出来事が心の中で混ざって、どん底へと突き落とされた。

07自分で決断した大学中退

価値観の違いで馴染めない大学生活

大学は、国際学部に進学した。

「高校の時に国際交流でスピーチをさせてもらって、国際協力とかに興味があったんです」

「大学では、発展途上国の土壌をリサーチして、その土壌から作物を育てるための研究が、すごく楽しかったです」

でも、講義や研究を楽しむ一方で、周りの学生との温度差に悩む。

「周りはお金持ちばっかりで、それに嫌気がさしてました。ある時、友だちに『留学するの? 留学って誰のお金?』って聞いたら、『親に決まってるじゃん』って言われました」

経済的に苦労している自分とは環境も価値観も異なった。そんな自分を大学でさらけ出せないことがストレスとなった。

親が大学での知人を理解してくれないことについても、モヤモヤしていた。

「国際学部には留学生がたくさんいました。韓国人でも中国人でも、国籍に関係なく良い人もいれば悪い人もいるじゃないですか」

「だけど、親は特定の国の人のことを一緒くたに、みんな悪い人だと思っていて、それを私に言ってきたんです」

なんて理解のない親なのだろう。
つらかった。

自らの意思で大学中退を決意

奨学金を借りていたことも、大学に通う不安の一つだった。

「多額の借金になってしまうのがすごい怖かったです」

大学を辞めることを決意し、親に相談した。

「親に大学を辞めるって言ったんですけど、親はやっぱり大学を卒業していい会社に入って当たり前、それくらいしないとダメって思っていて、親とは決裂しました」

最終的には、自分の意思を貫き通し、2年生の時に大学を辞めた。

08就活失敗、呼ばれるように沖縄へ

自分を叩き直すために、厳しい環境へ

当時、すでに自己肯定感は全然なかったが、大学を中退してなおさら、ダメな自分を直さなければ、と考えるようになる。

「自分を直すには、厳しいところに行かなきゃいけないと思ってました」

そこで、厳しいことで有名な就職先の門を叩く。

住み込みしながら仕事を覚える丁稚奉公のシステムを取り入れた、家具職人を養成する会社だ。

入社すると、厳しさは想像以上だった。

「入社するとみんな丸刈りにしないといけなくて、携帯とかも使えないし、4年間給料ないんですよね」

「朝から晩まで働いて、理不尽なことで怒られるのは日常茶飯事でした」

その厳しさに圧倒され、半年で退職。実家に戻った。

沖縄・西表島のリゾートバイト

実家に戻ると、母親が就職するよう、うるさく言ってきた。

「でも、ズタボロの丁稚奉公で、精神的に参っていました」

「それに、スーツも着たくないし、お化粧もしたくないし、パンプスも履きたくなくて・・・・・・」

自分に売り込めることなどないとわかっていながらも、母親に強く言われたために、渋々就職活動を行った。

「でも、全落ちでした」

「その後も就職はやっぱ無理だなーって。どうしようか考えた時に、沖縄に行こうと思ったんです」

沖縄に知り合いや親戚がいたわけではない。でも、沖縄から呼ばれたような気がした。

「沖縄は、おばあちゃんが小さい頃によく連れてってくれたんですけど、本島はつまんないなと思って、離島に行くことにしました」

リゾートバイトで、西表島に派遣されることになる。

09三線との出会い

役に立ったアコーディオン

西表島での生活は楽しかった。

「仕事終わりにみんなで海に泳ぎに行ったり、すごい良くしてくださる地元の方と出会えたり」

山と海しかない環境では暇だろうと、持ち込んだアコーディオンが島の人々との交流に役立った。

「ある時、アコーディオンが弾けるんだったら、おばぁが集まる会があるからそれで弾きなよ、って言われたんです」

「おばぁがすごく喜んでくれました」

おばぁたちが自分のことを「アコーディオンの弾ける藍ちゃん」として覚えてくれた。

「私にとっても癒しだったし、おばぁにとっても癒しになったようです」

リトルカブで、ふたたび西表島へ

「西表島には1年くらい滞在して、実家に戻りました」

職場のいざこざがあって、西表島を離れたのだ。

でも、帰ってきてから「やっぱり西表島が好きだった」と気づき、
ふたたび西表島へ向かうことを決めた。

当時働いていた同僚にその決意を話すと、意外なことを言われた。

「『西表島に帰ろうと思うんですよね』って話したら『いいじゃん、どうやって帰るの?』って言われて。『飛行機です』って言ったら『なんだ、お前の生き方つまんねえな』って言われて」

飛行機以外の移動手段をたずねると、「バイクで旅しながら行けばいい」と提案される。

その言葉をきっかけに、関東から沖縄・西表島までリトルカブで旅をしながら向かうことにした。

途中でフェリーに乗り、約1か月かけて西表島まで辿り着いた。走行距離は2500kmほどになった。

「夏だったので、道の照り返しがすごく暑くてめちゃめちゃしんどかったですね。静岡から愛知辺りが特に大変でした」

道中では色んな人と接することができた。

「ライダーハウスやゲストハウスに泊まったり、地方にいる友だちの家に泊まらせてもらいました」

「新しい出会いもあって、今でも連絡を取り合っている人もいます」

三線入門テストを経て弟子入り

2度目の西表島では、前回とは別のホテルで働いた。

「たまたま、ホテルの支配人が三線の教師免許を持ってたんで、三線を教えて欲しいってお願いしました」

でも、最初は断られた。

「最終的には条件付きで教えてやるかって言って、入門テストをしてくれました」

「課題曲が6曲あって、その1番だけを2ヶ月の間に覚えて来いと。三線を教えてくださる兄弟師匠の皆さんがいっぱいいる前で指定された曲を歌うのが、テスト内容でした」

何とかテストに合格し、入門することができた。
三線は、現在も弾き続けている。

「自分が受けた恩をどう返せるかって、それは師匠たちに直接恩返しすることじゃなくって、自分に弟子を付けたりすることが、師匠たちにとっての恩返しになるのかなって考えてます」

今は、三線の古典音楽を継承する活動も行っている。

10 人を癒す力で励ましたい

過去を清算するために、埼玉へ

西表島には2年半ほど住み、2020年の秋に実家に戻った。
1度目の滞在と合わせると、4年近く西表島で過ごしたことになる。

「2回滞在した西表島でも自分を出せなくて・・・・・・。癒やされる環境だったんだけど、トラウマは完全に治癒してたわけじゃなくて、なんとなくやり過ごしてただけなんです」

「いつトラウマがぶり返すかわからないので、過去を清算しないとダメだなと思って、実家に帰りました」

実家に戻ってからは、知人の紹介で重度障害者の訪問介護の仕事をしている。

「身体介護や入浴や移動介助、家事援助などをしてます。動くのは、指とか目、口くらいの利用者さんもいらっしゃいます」

「最初は、どんなこと話したらいいんだろう? こんなこと聞いたら失礼かな? と、半年くらいずっとモヤモヤしていました」

でも、最近は仕事にも少しずつ慣れ、楽しさややりがいも感じられるようになった。

「人って見た目で決めつけちゃうけど、そうじゃないんだよって、利用者さんが身をもって教えてくださるんです」

ある日、先天性の難病で体がほとんど動かない方に「幸せですか?」と問いかけてみた。

「『めっちゃ幸せ!』って答えが返ってきました」

「いつ死んでもいい、毎日今日死ぬかもしれない覚悟をもって生きてるから幸せだと。そこまで言い切れるのってすごい」

「リスペクトしてます」

性的虐待被害者のサポートと、ありのままの自分でいること

「今後は、性的虐待や暴行の被害者に関するサポートをやりたいと思って、SNSやブログで自分の体験談を発信してます」

性的虐待の根本的な原因は、日本の性教育が不十分なことだと思う。

「教育を変えていかないと、これからも私より年下の幼稚園とか小学生の子とか、若い人たちにも被害が続いていく、根は絶やせないですよね」

「偏見って無知から生まれると思うんです。偏見や無理解を取り除くには知ってもらう、理解してもらうっていうのが一番なので、まずは私の体験談を知ってもらいたいです」

今まで自分を隠してきたつらさも、実体験を発信する理由だ。

「虐待されたことを声に出さなかったら、ないものになってしまうじゃないですか。それって絶対にダメだと思ったんです。ないものにしてしまったら、この苦しみはただの苦しみでしかない」

だから、たとえ心無い言葉を受け取ることになろうとも、発信しようと決意した。

「前の職場でのことなんですけど、体調不良で休んでたことがあって、そのきっかけや原因が多分過去の虐待だと思うって職場の人に話したんです。でも、それは気のせいだよって言われました」

「わからないよね、知らないよね、と思いました。背景が見えないじゃないですか。明るく振る舞っていたら、過去にそういうことがあったなんて、わからないじゃないですか」

「そういう、悔しい思いが積もりに積もった結果、声を上げようと思ったんです。伝わらないって悔しいなって」

「自分を偽らないで生きていくことが幸せにつながるんじゃないかなって思ってます」

厳しい中にも希望はある

実際に、自分の体験をオープンにしたことで大事な経験も得られた。

「レズビアンのアプリで、最初に性的虐待のことを公表したら『私も同じようなこと、受けてたよ』って声を上げて下さった方が何人かいらっしゃいました」

介護の仕事中にも虐待の経験を話したことがある。

「『つらかったね』って共感してくれるんですよ。『今、大丈夫なの? どんなサポートしたらいいかな?』とも言ってくれて」

自分の経験や思いを開示することで、勇気づけられる人がたくさんいると知った。

声を上げることが大事だ。

「私、初対面の方でもだいたい初めての感じがしないって、よく言われるんですよね」

「人を癒す空間とかを作れたらいいなって考えてます」

「料理が得意なので、料理で人に元気を与えられたらといいなと思いますね。手作りした料理の方がエネルギー摂れますし」

今までの経験を活かして、これからは人を癒して支援する活動をしていきたい。

虐待を受けて苦しんでいる人々でも幸せに生きていける基盤を作りたい。

完全にトラウマから立ち直ったわけではない。今もなお、地団駄を踏んでいる感覚もある。

それでも、自分には人を癒す力があると信じている。

あとがき
三線のご持参と着物へのお召しかえ。南の島のおおらかさをまとう藍さん。思い立って行動するたびに新たな出会いに喜んだ。困りごとを抱えたこともあった。おもいで話は尽きない■放り出せない体験が藍さんを苦しめる日もあるけど、しっかり立って生きようする力がこもってる■本当の理解者は自分だけ。捉えて、考えて・・・だからきっと優しくなったんだ。人生はまだまだ長い。これからの出来事が、笑顔にむすびつく記憶になるように、なるように。(編集部)

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